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第2章 本当ですか!!(始まりの始まり)

 その始まりは、それを遡ること半年前であった。
 私達二人は、香港のビアレストランにいた。フリーポートであり関税のかからない国際都市香港は、世界中の名産品が多く集まりやすい場所である。特に税金の割合が高いビールなどの酒類は、スーパーなどでは水よりも安いのではないかと思うほどだ。(おしゃれなビアバーなどでは、高い土地代と人件費で相殺されてしまうのだが…)

 私と北島は昔話に花を咲かせながら、冷えたビールを何杯か飲んでいた。彼と私は、東京の西のはずれにある営業所で以前一緒に働いていた仲間である。彼は、その時点で既に会社を若くして退職しており、自由気ままな生活を送っていた。一方、私は、海外の駐在員として中国で勤務していた。
 昔話もひと段落した頃、私はおもむろに彼に一つの質問をしてみた。それは、全くの興味本位というか、話題の一つというか、決して真剣に相談した訳ではない。しかし、その質問が、私の人生に大きな変化を及ぼす事となったのである。

 「北島さん、LED電球から電解コンデンサーを外すことはできませんか?」

 私の待っていた答えは、「それは無理だよ、加賀谷ちゃん」であった。
 なぜなら、私は今まで、幾度同じ質問を様々なエンジニアにしてきて、その度、「それは無理だなー」という答えを聞いてきたからである。私の知っているエンジニアは、誰も皆、とても親切である。そして、誰もがとても親切に、できない技術的な理由を、時には図を書きながら教えてくれた。
 その結果、私は、その“できない”理由を、図付きで諳んじられるほどになっていた。

 しかし、目の前でお酒を飲んでいるエンジニアは、退職したとはいえ、会社時代はまさに伝説とも言える開発をしてきた天才技術者である事は、私は誰よりも知っていた。彼が手がけた製品は、正に、世界を駆け巡った。
 彼は、その能力を示すエピソードには、事欠くことがない。例えば、彼は、アメリカで開発され、当時小型車より高価だった『デジタル時計』を米国から遅れること1年後の、『中学校2年生の夏休みの宿題』にその『デジタル時計』を学校の技術の先生に提出し、先生から「なんだ、これは?なんか見にくいな」と言われ、「はい、そうですね」と家に持ち帰ったような男である。
 圧巻だったのは、ポータブルCDプレーヤーのソリューション開発である。これを読んでいる人の中でもその恩恵を受けたことがある人は少なからずいると思う。

 当時、顧客対応の“営業所”で顧客向けの技術サポート(開発本部ではない)であった彼は、たった一人で世界をあっと言わせる技術を開発した。
 当時問題とされていた、衝撃による“音飛びの雑音“を無くしただけではなく、当時、電池駆動最長の3時間を誇っていた、S社製品を軽々と飛び越し、8時間駆動を実現したのである。

 その名前は、“ショックプルーフ”。

 そのソリューションは、瞬く間に世界中のメーカーに採用され、世界シェア80%を占めるに至った。それが圧巻であると言い切れる理由は、彼が、開発環境もない、営業部門の地方の一営業所で、たった一人で行ったという事である。通常このような商品開発は、研究所も含めた様々な部門と人で構成され、多額の開発予算を計上して、組織的に行われる。そうしないと、“できない”からである。
 しかし、彼は、それをたった一人で成し遂げてしまったのである。その開発したマイコンチップは、数十年経った今でも、「怖くて誰も触れない」と言われ、開発時のまま、単に製造プロセスがシュリンクされたまま、現在でも残っている。

 とはいえ、そんな天才技術者でも、既に技術開発の現場から離れて10年以上は経過した今は、単なる不動産賃貸業の大家さんである。その彼が、当時世界中の注目を浴びていたLED電球の超重要課題は解決できるとは、さすがに私も思ってはいなかった。ただ、彼ならば、何かのちょっとしたヒントぐらいはくれるかもしれない、もしくは、「それはできないんだよ」という最後の引導を私に渡してもらおうか、くらいの全く軽い気持ちで、彼に尋ねたのである。

 ところが、である。返ってきた答えは、なんと

 「できると思うよ。多分」

 であった。

 私は、耳を疑った。そして、思わず、今までたくさんのエンジニアから教えてもらった“なぜ出来ないか”の理由を早口にまくし立てた。彼は、ニコニコしながら、黙って最後まで私の話を聞いていた。そして、私の説明が一通り終わった後、また一言、彼は言った。

 「うん、でも多分できると思う」

 “まさか!!”私の胸は高まった。それができれば、人類は、電球というゴミを捨てなくてもよくなるかもしれないのである。LED素子が本来持つ、半永久光るかもしれないという長寿命の特性を、そのまま電球そのものに反映できるのである。
 私は、興奮のあまり、少し上ずった声で言った。

 「本当ですか?今まで誰もできないとしか言ってくれなかったのですよ」
 彼は落ち着いた声で言った。

 「できるはずだよ。検証する必要はあるけど」

 「えーっ!マジですか?できたらすごいですよ。やりましょうよ。世界が変わりますよ」
 しかし、彼の反応は鈍かった。

 「今更、はんだごて握って(開発を)やるのもなー…」

 そうである。彼は、不動産賃貸業などで資産を築いて、今は、自由気ままな生活を送っているのである。今回の香港の旅行も、彼の気ままな一人旅の途中であったのである。
 しかし、私はこれを聞いて、このまま引き下がりたくはなかった。他でもない天才技術者ができると言っているのだから、できるに違いない。今まで、誰も相手にしてくれなかった夢の商品が実現できるかもしれないのである。

 私は、彼が、とてつもなく電気技術が好きな事は知っていた。押せばその『エンジニア』の血が騒ぎ、やりたいと思ってくれるような気がしていた。

 「やるだけやってみましょうよ。検証ってどんなのを用意すればいいですか?そんな世紀の発明、検証だけでもやってみましょうよ。用意しますよ。今度また、香港に遊びにきた時に1日だけ私にください。」

 彼はついに根負けした。というか、やはり、そもそも電気技術が好きなのである。彼は私に、検証に必要なものを言い残し、別の旅行の目的地に旅立って行った。(のちに私は、彼が言い残して行った内容を理解するのすら時間がかかったのだが。)

 そして、ついにその雪の日がやってくるのである。