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第7章 救世主と気づき

 挫折を味わいながらも、私は、また本当の意味でくじけてはいなかった。この商品と技術は、必ず世の中のためになると信じていたからである。(生来の性格上の鈍さもあるとは思うが。)
 一筋の光明すら見えない真っ暗闇のような状況の中で、可能性を信じて必死に動き回っていた。当然といえば当然である。くじけたら最後、莫大な借金を抱え、愛する家族を路頭に迷わせることになるのである。

 そんな時に、ついに救世主が現れる。それは現在においても常に私の理念を力強く、心からバックアップしてくれる存在である。ちなみに、このビジネスを開始してから、現在に至るまで、幾度となく窮地に立たされると、必ず救世主が現れてくれる。
 そして、その救世主たちは、決して直接的に指導をしてくれるわけではないが、その救済行為を通じて、自分勝手であった世間知らずのサラリーマンを社会的な方向に導いてくれるのである。

 私は当初、自分の人生は、自分で切り開いて、自分で生きていると思っていた。この事業も、自分がここまで引っ張り、自分の力でなんとかできるし、しなくてはならないと思っていた。しかし、何度か窮地に立たされるとその考えは、何か、根本的に勘違っているという事に気付かされた。

 それはこういう事である。

 自分は当然頑張るし、それは生きていく上では必要だろう。しかし、自分が今、存在できているのは、誰かに生かしてもらっているからであり、自分で生きているわけではないのである。この事が、しっかりと自分の肝に入った事によって、社会への恩返しを当然の義務として考えることが出来たのである。
 実は、私は、サラリーマン時代に、毎朝、「感謝報恩の精神」と声に出して諳んじていた。言葉ではわかっていた。しかし、本当の意味がようやくわかってきたのは、自ら起業し、家族共々路頭に迷うかもしれないという絶体絶命の危機、借金の為に、自らの命すら断たなければいけないと思いを巡らせた日々を通じ、今、信念としてようやく自分の血として持つことができている。

 そのきっかけとなった最初の救世主こそ、地元の多摩地区に根を下ろした信用金庫であった。この信用金庫は、創業のサポートをする事業を展開し、立ち上げ初期からお世話になっているだけではなく、地元の支店に担当が変わっても途切れることなく、むしろ、更に強固になってバックアップをしてくれている。実績重視の金融機関において、何の実績もない当社に対して、金融面のみならず、精神的な支援をいただいている。

 そして、この最初の危機の際には、直接的な信用融資だけではなく、信用金庫系のベンチャーキャピタルを紹介し、全面的に応援をしてくれた。このご縁によって、資本準備金合わせ3000万円の投資が決定され、ここで初めて長寿命商品の量産を開始、および初期の販売プロモーション活動を実施する費用が確保できたのである。
それは、商品設計が終了してから、すでに半年の歳月か経過していた綱渡りの日々であった。

追記
 私が、この時点までにお世話になった方々のエピソードは書いても書ききれない量になる。そのために致し方なく今回は割愛させていただいたが、とても多くの方々が、心からの暖かい支援の手を差し伸べてくれている。出資者でもある地元商工会の会長、東京都の中小企業振興の方々、信用保証の上野支店さんは、苦しい時に、いつも心からの暖かい励ましとサポートをいただいた。どれだけ気持ちが楽になったかわからない。そして、設計のお手伝いをいただいた会社、自社サイトのサポートをいただいている大阪のWEBデザイン会社、投資判断の最終局面で、心よりの支援をいただいた大手Eコマース会社の方々、そして投資判断をいただいたキャピタル会社、および、投資には至らなかったものの支援をいただいた証券会社系のベンチャーキャピタリストの方々。そして、不具合があったにも関わらず、暖かい声援を送っていただいたお客様。
 そして、こんな瀕死の状況にもかかわらず素晴らしい責任感と高い任務遂行能力で私の支えとなってもらっているスタッフには、心からの感謝を伝えたい。

 このような方々の支援の上で、何とかこの夢の技術は、未だに消え去ることなく本日、まだ、存在できている。そして、皆様こそ、自分と、自分の会社は、社会に生かされているということを教えてくれた恩人であり、この恩を社会に還元して行く決意を与えてくれている恩人達である。

 そして、間違いなく、これからもたくさんの恩人が、私の事業を助けてくれると思う。私は、今までの、そして未来の恩人達に対して、そのご恩をしっかりと受け止めて、社会にしっかりと還元することを心に誓う。