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第11章 失望(大海の一滴)

 3つの商品群は、全てにおいて他のいかなる商品に比べて完全に優れていた。少なくとも私にはそう思えたし、事実でもあった。これらの商品群を揃えた時に、私は、このちっぽけなベンチャー企業が存続しうるだけの販売と利益が上がるくらいの売り上げと成果は出るものと思っていた。
 しかし、この局面において、またもや大きな挫折を味わうこととなるのである。そして、ほぼ全ての力を出し切ったとも言えるこの時点での挫折は、明らかに、会社のみならず、私と私の愛する存在をこの世から消し去るに十分なインパクトがあるものであった。
 全ての風景が、セピア色に見えた。

 『なぜ売れないんだ…』私は、毎日、毎日必死で考えた。

 理由は、ある意味で明確であった。誰もが、LEDで問題があるとは思っていない。つまり、探していないのである。まず、誰もがLEDは既に長寿命と思っている。社会的な通念となって世の中を覆っている。今までに壊れた経験があったとしても、大企業含めた誰もが「LEDは壊れない」と言っているので、「たまたま運が悪かっただけ」と処理されてしまっている。

 『誰もがそれを信じている』という状態は本当に恐ろしい。プロパガンダによって形成された集団の考えを変えるのは容易ではない。

 高演色LED(彩)にしても、全く同じ憂き目にあった。LEDは色を綺麗に写せないという事実を、あらゆる媒体を通じて訴求しても、『LEDに変えればもう大丈夫』という神話をなかなか打ち崩せないのである。

 そもそも演色性などという言葉も分かりにくい。また、中には、演色性が良いことを売りにする競合商品もあり、『高演色LED』と銘打って実際は、自社比であったり、数年前と比較しての値であったりして、言葉だけが踊ったりする。それを増長するように、デジタル技術が発達し、いくらでも修正ができてしまうので、本来の圧倒的な差が伝わらない。つまり、一般的な消費者はその差が全くわからない。

 どちらにしても、『探されていないから買われない』という構図である。

 マーケティングの手法として、『需要を作り出し、そこで販売する』ということが成功のポイントであるなどと言われるが、私達のような小さな会社が最初に取るべき戦略は、『市場が探しているものを供給する』という形がふさわしい。
 そう言った意味では、私は、身の丈を理解せずに無謀な挑戦を続けていることになる。
 つまり、商品の技術性と将来性と規模感と、実力がミスマッチなのである。
 半永久に光るかもしれない照明という夢の技術にも関わらず、表現力や訴求力にも問題があり、商品が出ていかないのである。

 必死の資金繰りの中で行った必死のプロモーション活動も、世の中全体から見ると、大海の一滴にすぎないのである。

 今度こそ、破滅が音を立てて確実に近づいてきていた。

 「調子は上向きですよ」何人かの人に私は答えた。この嘘つきめ!自分で自分を罵った。正しくは、「調子は上向きになることを必死で祈っています」だろう。
 しかし、今までたくさんの人たちが心からの支援を惜しまずに協力してくれていた。その人たちに、この惨めな状況を伝えたくはなかった。言い切ってから、それを事実にしよう。そしたら、その言葉は嘘ではなくなる。自分にそれを言い聞かせた。

 今にも人生が音を立ててガラガラと崩れ落ちていく音が聞こえそうであった。私は、自分を責め、そして、惨めであった。孤独でもあった。いろんなよくないことを考えた。良くないとわかっていても、考えるのである。追い込まれた人は、通常の思考方式など、とてもできないと言う事が身にしみてわかった。
 私は、今にも崩れそうになる自分を自分で支えるのに必死だった。なぜなら崩れたら本当に全てが終わるのである。

 「やるしかない」

 この言葉だけが私の全てであった。