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第10章 出陣準備3(101)

 『LEDは壊れない』この日本を覆う“常識”に応えるために、そして、ゴミにならない半永久に使用できる人類初の電球を実現するために、そして何よりも私たちの夢の技術の実力を余す事なく表現するために、それは、計画され、実行された。

 その名前は、『タフらいと101(ワンオーワン)』

 それは長く光り続けるためだけに作られた。研究室での実験物ではない。市場に流通する普通のLED電球として存在する商品である。
 その“101”の名前の由来は、100年先まで光り続けて欲しいという願いからつけられた。

 実は、米国カリフォルニア州の消防署に、ギネス認定されている100年以上光り続けている白熱電球がある。白熱電球ですら100年以上光るものがある。21世紀の光、LED電球でそれをオーバードライブしたい、それも1個ではなく、技術が進歩した証として、人類の進歩の証として普通にたくさんの電球でそれを越してみたい、そういった思いがこのネーミングに込められている。

 その実現のために、これ以上ないというこだわりを商品に詰め込んだ。この商品は、象牙の塔で作られた1個2個のサンプルでなく、一般的に販売する量産品である。
 実は、品質というものは、ある程度は価格で買える。私たちの挑戦は、量産品でありながらも1世紀を超える果てしない寿命を実現しなくてはいけない。これこそが、この商品の価値であり存在意義であった。
 生産も中国で行うこととした。全体の価格バランスを考慮し、最適な材料を選び、最適な場所で生産するという、通常のメーカーが選択する原則に則ったからである。この商品だけ特別に日本で作るということをしたくはなかったからである。繰り返しになるが、これは『量産品』なのである。

 設計は、慎重に慎重を期した。電子部品は、温度によって、電圧・電流によって、その振る舞いが微妙に変化する。その変化は部品によって異なり、まるで先生の言うことを聞かない元気な幼稚園児のようである。その幼稚園児の性格を頭に入れて、どんなことが起きても、学芸会が終わるまで、最後まで美しい演奏や劇が実現できるようにしなくてはいけないのである。これは、熟練の匠の技であり、知識と経験が必要であった。

 そのために、世界でも指折りのアナログ界の権威と言われる人物にその役割を委託することにした。もちろん、無尽蔵に開発資金を提供できる話ではなく、むしろその真逆の状態(つまり資金難)の中での交渉であった。

 当然、交渉は難航を極めた。私が用意していた金額の3倍以上もの見積もりが来た。しかし、私は諦めたくはなかった。この人類が経験する記念すべき商品に、ほんの少しでも間違いが起こる可能性を排除したかった。
 北島が開発した世界最高の技術を、世界最高の権威に設計して欲しかった。諦めたくはなかったのである。私は、考えられるだけの方法で粘り強く交渉し、ついに、その了承を獲得したのである。
 まさしく、鬼に金棒であった。
 秘密保持契約締結の後、そして、そのアナログ界の世界的な権威は、まさに芸術的な設計によって、完璧な電子回路を完成してくれたのである。採用部品は、一部作っていない部品を除き全て日本メーカー製を採用した。電源ONOFFは、1日8回行っても100年持つように30万回使用可能な部品を採用した。
 全て量産品として購入可能な電子部品を選択し、量産品として設計を行った。

 しかし、価格交渉の過程で信頼性や寿命に最も重要とされる放熱設計は、自らの手で行う必要があった。ここでは、量産可能な最高レベルの材料を使い、組み立てのばらつきが出ないような堅牢な設計を施した。
 熱は、その物質が持つ特性でその伝導率が決まる。そこで量産可能な工業製品では、最高レベルのアルミ合金(a6063)という金属を使用した。これは、米国Apple社がスマホやパソコンで使用する金属と同じである。
 その高級アルミ金属の塊を、一つ一つ電球の形になるように削り出した。これは、組み立て不良によるばらつきを抑えるためである。生産地の中国を意識した設計である。

 LEDは、日本を代表する大手メーカーのものを採用した。LEDも使用材料は仕様書には記載していない材料的な微妙な差がある。本来は、この部分は非公開情報であるが、この電球のコンセプトを説明し、寿命に最適な材料を搭載した製品情報を入手することができた。このことにより、世界で最も堅牢なLED部分を搭載することができたのである。

 『LEDは壊れない』この認識に真に答えるためには、ここまでのこだわりを組み込んだ。これは、有限寿命である『電解コンデンサー』を使用していない回路を開発したことによって、初めてこのチャレンジが可能となったとも言えるが、地球環境のために、限りある資源のために、新しい未来の生活のために、たった2人の門外漢が、寒空の下開発し、名前も資金もブランドも、設備もない中で、必死に作った商品がここに完成したのである。

 もし、日本人の遺伝子に『武士道』が流れているとしたら、この商品は、『義を見てせざるは、勇無きなり』そして、知行合一の行動を良しとする日本的な陽明学の賜物である。『石に立つ矢』のごとく、南無八幡大菩薩を念じた那須与一のごとく、そして、貧しい 老婆が心を込めて石灯籠に灯した火のごとく登場したこれらの商品は、多くの支援を得て美しく登場した。

 しかし、作るまでが精一杯の状態で、このことを社会に訴えるにはあまりにも力不足で、この意義をしっかりと伝えきれない状態が続く中、またもやたちまち窮地に陥るのである。